points-of-view’s blog

創作イラストを。世間とずれてるブログです。

6. エッセイ

これは世間とずれている私のブログです。

f:id:points-of-view:20200922173616j:image


今日は井伏鱒二さんの講談社文芸文庫現代日本のエッセイ「還暦の鯉」に収録されている、
『「が」「そして」「しかし」』について書きたいと思います。

今回は本文から引用・抜粋させていただきます。まずは冒頭から。

 お前の文体は━━と聞かれたら私はシャッポを脱ぐ。交番で問いつめられたって同様である。気持のいい文体。浄化された文体。そんなのを成就することは自分にはできない相談の一つである。もう一つの出来ない相談のうち、取り扱う一つ一つの素材に対し、いちいちその素材に適応するような文体が生れたらどうだろうというのがある。

井伏鱒二著『「が」「そして」「しかし」』より抜粋

 シャッポ(帽子)の語源を調べてみたらフランス語なんですね。鱒二さんはフランス文学が好きだからこの書き出しにしたのかもしれません。
私は絵を描くので、"素材に適応するような文体"というのを文体=絵のタッチとして考えてみました。
私は絵を描く人は大きく分けると2パターンいると思うんです。同じタッチの絵のみ描く人と、様々なタッチの絵を描く人の2パターンです。
私はどちらかといえば後者です。
分かりやすく言うと、私はだいぶ前にツテで医療用パンフレットの挿絵などの仕事をしていたことがあります。咳き込んでいるおじいさんや、病気の人の為の献立、薬の飲み方などのイラストを描いていました。
ブログに載せている絵のタッチとまるで違うので、誰も同じ人が描いた絵だとは思わないでしょう。

鱒二さんご本人が感じている通り、鱒二さんはどの作品でもほとんど文体が変わりません。たまに、です・ます調の時もあるけれど、文章を書く仕事の方からみれば、それは文体が違うとは言えないかもしれません。私は文章に関して全くの素人なのでわかりませんが…。

では、途中何ページか省略して本文から抜粋して載せます。

 二、三年前のこと、私は自分の参考にするために、手づるを求めて尊敬する某作家の組版ずみの原稿を雑誌社から貰って来た。十枚あまりの随筆である。消したり書きなおしたりしてある箇所を見ると、その原稿は一たん清書して三べんか四へんぐらい読みなおしてあると推定できた。その加筆訂正でいじくってある箇所は、「……何々何々であるが」というようなところの「が」の字と、語尾と、語尾の次に来る「しかし」または「そして」という接続詞とに殆どかぎられていた。訂正して再び訂正してある箇所もあった。その作家の得心の行くまで厳しく削ってあるものと思われた。あれほどの作家の作品にして、「が」の字や「そして」「しかし」に対し、実に初々しく気をつかってある点に感無量であった。

井伏鱒二著『「が」「そして」「しかし」』より抜粋

 このエッセイのタイトルに関係するところですね。私は鱒二さんのこういった他者を尊敬して偉ぶらない、飾らない性格が好きです。
私もこういった人間になりたいと思うのですが、実際は誰かを羨んだりしていますね。
自分との戦いのみとして絵を描くことができたなら、もっといいものが描けるのかもしれません。言葉の接続詞や語尾のように、もっと絵の細かな部分にじっくりとこだわって描けるようになりたいですね。

 

このブログを読んで井伏鱒二さんの本に興味を持っていただけたら嬉しく思います。

ありがとうございました。