points-of-view’s blog

創作イラストを。世間とずれてるブログです。

23. 名称アクセント・その他



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これは世間とずれている私のブログです。
 私は昔から名称のアクセントがどこにあるのかよくわからないのです。
普通に生活していて私が思っているアクセントと違うことが本当によくあります。ちなみに私の出身地は東京です。父は違いますが、母も関東圏の出身です。それをふまえて読んでいただければと思います。
 
 私はタレント・俳優のMEGUMIさんのアクセントは林原めぐみさんの『めぐみ』と同じアクセントだと思っていたのです。
ところが、近ごろテレビを観ているとホンジャマカ恵俊彰さんと同じ『めぐみ』のアクセントで呼ぶ出演者が何人かいるのです。
でも同じ番組内で林原めぐみさんの『めぐみ』のアクセントで呼ぶ出演者もいます。
いったい正解はどっちなんだろうかと聞くたびに思っていました。
でもこれは姓なのか名なのか調べればわかるということだと気が付きました。
ネットで調べたところ、結婚前の本名は山野仁(Yamano megumi)さんだそうです。そうなると私の思っているアクセントで正しいということですね。

続いて、役所広司さんの『役所』も昔とアクセントが変わったと思います。以前は『役者』と同じアクセントでしたが、最近は『悪女』と同じアクセントになりました。
コーヒーのCMでもやはり『悪女』と同じアクセントで呼ばれていますね。
皆さんはどちらのアクセントでしょうか。これはなかなか正しい答えを出し難いと思います。
この場合、ご本人が自己紹介したアクセントに合わせるのが正しいのではないでしょうか。今度自己紹介されている時があったらよく聞いてみます。


他に、ゲームをしている時も地名のアクセントが思っていたのと違うことが多いですね。ずっと頭の中で私が呼んでいたアクセントと違うので、セリフを聞いてとても驚きます。これって私だけなんでしょうか。
子どもの頃、セフィロスという有名な名前でさえ、友達と話す時にアクセントがよくわからないのでなんとなく濁して話してました。堂々と言って「違うよ」と言われるのが怖かったのです。
正直言ってpixivのアクセントもよくわからないです。pixivのピクはピクチャーかな?と思うのですが、どうもシブに自信が持てません。『茶しぶ』と同じアクセントなのか…。
絵を描く友達で実際に会う友達がいないので一生わからないかもしれないです。

少し話は逸れますが、皆さんの周りに自分の事を名前で呼んでいる人はいますか?
子どもは除いての話です。
私は現実の知り合いにはいないのですが、ネットで見かける人が1人います。ネットで調べたところそういう人の心理は「自分特別視願望」というのみたいなんですよ。自分は誰よりも優れていて認められるべき・一目置かれていると思っているらしいです。確かにその方もそういう傾向にあるなぁ、と思いました。芸能人でも「事務所総出で」等の問題行動で自粛した人がいましたしね。
あまり自分の名前を誇張しすぎると目立ちたがり感も出ますし、ほどほどにしたほうが良いんでしょうね。


では今日はここまでにします。読んでくださりありがとうございました。

 

 

22. むら気


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これは世間とずれている私のブログです。

むらぎ【むら気】

気分が変わりやすいこと。むらき。

三省堂 新明解国語辞典 第4版より引用

 辞書を引くまで"むらぎ"じゃなくて"むらっけ"だと思っていました。調べてみるものですね。

私はTwitterは見ているだけなのですが、無断転載やトレスをされたという人が多いですね。私も勝手に自分の絵と他人の絵を合成したものを載せられたことあるんですが、正直不快でしたね。やった人はご満悦でウキウキしたコメントを出してました。9割がた私の絵でしたので利用されたと感じました。

今日はそういった持論を書くので嫌いな方は読まないほうがいいかもしれません。自己防衛をお願いします。

 

 

 

 絵を描く人のTwitterは自分の絵柄でフォロワーが増えないのを気にしている人が一定数いるみたいなんですが、タグを付け仲間同士で「この方はこんなに素敵な絵を描くのでフォローしてあげてください」という種類のツイートがけっこうあります。それをさらに自分で何度もリツイートしています。

こういうのは傍目に見てちょっとダサいなと感じます。以前から絵が上手いと思っていた方がしていたので引いてしまいました。

仲間同士で、「私達、絵上手いのになんでフォロワー増えないのかな?」と不特定多数に見えるようにお互い持ち上げ合ってるのは正直マイナスだと思うんです。自分の絵柄に自分で惚れ込み過ぎている気がします。

フォロワーを増やしたいなら自分からどんな人でも積極的にフォローするか、フォロワーが自然に増えるのを待つかになると思います。後者はそれなりに時間がかかるのを覚悟したほうがいいでしょう。私はTwitterはしていませんが、完全に後者の考えです。

 フォロワーがたくさんいる有名な絵描きさんが書いていたのですが、多少簡単な絵のほうがフォロワーは増えやすいようです。背景まで細かくきっちり描かれたものより、さらりと描かれた絵のほうが需要がある場合があると。それで実験として私もイラスト投稿サイトのほうでいつもの自分の絵よりも簡単な絵を載せてみたのです。普段ほとんどフォロワーがつかないのに、翌日見たら増えていました。

こうした結果から、絵が上手いけどあまりフォロワーが増えないのは絵に需要がないからという説は間違ってはいないようです。

フォロワーが増えないからと自信をなくす必要はないと思います。たまたま見た人の中にツボにハマる人が居なかっただけです。

前述した私が引いた方は少々活動にむら気があるのでフォロワーが増えないのはそのせいが大きいと思います。機嫌よくコメントを返したり完全に無視したり、忙しいのか知りませんが気分によってやることが変わる為ではないでしょうか。こういうのはフォロワー側が一番困惑する行動です。私もTwitterじゃないところでフォローしていたのですが、今はフォローをやめています。あちらからフォローしていただいたのでフォローを返したのですが、こちらの事に全て無反応なのでミュートされているのかもしれません。

こういう事があるのを知ってから今はフォローを返す事をあまりしていません。フォローをしあわないで仲良くしてる方もいるのでそのほうがよっぽど気楽で楽しいです。

フォローを自分からする時は、絵柄の好きな方に絞っていて返されなくてもどっちでもいいと思っています。ちなみに私はフォロー数に対してフォロワー数は1.8倍です。その中で相互フォローは10人以下ですね。全体の数字は少なくても割合で考えれば満足できます。

そんな感じなので今はストレスがほとんどありません。好きな絵柄しかタイムラインでは流れてこないのでやっかむこともありません。

皆さんもストレスな関係の人が居たら思い切ってフォローをやめてはいかがでしょうか。ストレスのない毎日のためにおすすめですよ。

では今日はこの辺で。読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

21. 私の好きな本


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これは世間とずれている私のブログです。
今日は私の好きな本を紹介したいと思います。

アメリカ・インディアン–奪われた大地

フィリップ・ジャカン著 富田虎男監修 訳者森夏樹
創元社「知の再発見」双書20

 私がこの本を初めて読んだのは20代初めの頃だと思います。元々幼い頃から部族に興味がありました。この本は自分で書店で見つけて買ったものです。
母に尋ねられた事があります。
「何でそんなにインディアンが好きなの?」
「なんか、生命力を感じるからだと思う」
「そうか。それはわかる気がするね」
母はいつも私の趣味を理解してくれるのでありがたいと思います。

 

 今"インディアン"と私は書いていますから、この時代"ネイティブ・アメリカン"と書かなきゃだめじゃないか?と思っている方もいるかもしれません。
しかし、実際のネイティブ・アメリカンの方たちはけっこう自分たちの事をインディアンと自称しているようなのです。

他にもいくつか関連本を読みましたが、ネイティブ・アメリカンでもインディアンでもどっちでもいいと言っている方もいます。

もちろん差別的だと思っている方もいると思いますが、ここでは愛を込めてインディアンと記述させていただきます。
 

 まずこの本の良いところは写真や絵がたくさん載っていることです。
族長の顔写真や道具や暮らしぶりを見るのがとても楽しい。アメリカ人のジョージ・カトリン氏が実際にインディアンに会って描いた肖像画がカラー口絵として載っています。
主に族長の肖像画なのですが、彼らの名前がとても格好良い。

 

ランニング・フォックス(走る狐)

フォーベアズ(四匹の熊)

ボウ・アンド・クウィバー(弓と矢筒)

ブルズ・バック・ファット(雄牛の背の脂身)

シャリタ・リッシュ(邪悪な族長)

リトル・ウルフ・ヨワイエ(小さな狼戦士)

ウルフ・アンド・ヒル(狼と丘)

マン・オブ・グッド・センス(善意の男)

 

私はこの中の名前を付けられるならソーク族族長のランニング・フォックスが良いですね。足が速そうな名前なので格好良いと思います。
映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」でもそういった名前が出てきます。大抵は自分の起こした出来事や外見から付けられるようです。その出来事の前はどういう名前だったのか聞いてみたいですね。
この本は興味深いところがたくさんあるのでどこを紹介するか悩みますが、中でもアパッチ族族長ジェロニモの回想記やオグララ・スー族族長で進歩主義者だったレッド・クラウドの報告、インディアンの少年が初めてバッファロー狩りに行った時の手記ルター・ウルス・ドゥブー「スー族族長の思い出」が面白いと思います。
ここでその手記を少し書かせていただきます。

丘の頂きに着くと、狩人たちは馬の手綱をゆるめた。馬はいっせいに風のような速さで突進しはじめた。私も自分の乗っている黒い小さな牝馬にムチを入れたが、一団の先頭に出るにはちょっと力足らずで、巻き上がる砂塵のちょうどまん中あたりを走っていた。(略)※
父が前に話してくれた光景を実際に見たのはその時だった。バッファローの大群がこちらに向かって前進してきていた。バッファローは私たちに気がつくと、二手に分かれて反対の方角に走り出した。私は、なんとかしてこのうちの1頭を倒したいと思った。しかし、私は自分が大きなバッファローにくらべてあまりにも小さなことに驚き、本当に恐ろしくなってしまっていた。牛の腎臓と毛皮をもって帰っていらっしゃいという母の言葉を私は思いだし、自分はもうりっぱな一人前の男なのだということを自分に言い聞かせた。
ルター・ウルス・ドゥブー「スー族族長の思い出」
アメリカ・インディアンー奪われた大地』より引用

※本書の中でも本文が省略されています。

 

興味を持たれた方は読んでみていただけたら嬉しいです。
このブログを書くにあたりまた読み返しましたが、この手記は何度読んでも面白いと思います。大人になればなるほど心に響いてきますね。
他にも面白いところが沢山あるのでまたこの本について書くかもしれません。

 

では今回はこの辺で。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

 

20. 袂を分かつ

これは世間とずれている私のブログです。

あけましておめでとうございます。
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袂【たもと】
[手元の意という]
①和服のそでの下方の、袋のようになった部分。[広義では、「そで」を指す]
・ーを分かつ[=A 別れる。B 仲間と絶交する]
三省堂 新明解国語辞典第四版より引用 

 年末にどうにかすれば良かったのですが、新年になってからネット上の知人と袂を分かつ事にしました。理由は、相手の上昇志向が私に合わないという単純なことです。
知り合った当初は絵を描くという趣味を楽しむ感じの人だったのですが、だんだんと商売にしたいという風に変化していきました。
私は自分の実力ではアイコンや本の表紙の仕事などできないと思っているので、趣味として楽しんでいます。お互いに進む方向が違うので、という風に伝えました。
応援してあげたいところですが、修行と言う名の途中経過の同じような絵を見せられる事が度々続き、離れるのが私にとって最善となりました。

相手を少なからず傷つけたことはわかっています。今は嫌われてもいいから離れたいという気持ちです。むしろ嫌われたいのです。たとえどこかで悪口を書かれても構わないと思っています。

 

このように随分変わっている私ですが、時々読んでいただけると嬉しいです。

では、今回はこの辺で。ありがとうございました。

 

 

 

 

19. 自分の言葉

これは世間とずれている私のブログです。
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私のブログには番号を付けています。新しい記事を読まれているかぱっと分かるので付けておいて良かったと思いますね。
皆さんはネット内の番号であるランキングって気になりますか?

正直に言いますと、私はランキングにはそんなに興味がありません。それよりも自分の絵が、目標にしている方と近いレベルでありたいと思っています。

 

このブログに関しても、言葉について興味や専門知識のある方がスターをつけてくださり大変嬉しく思っています。基本的にスターをつけてくださった方のブログは必ず一度は読んでいます。

いくつか面白い記事がありました。個人的な理由からスターを付けられず申し訳ありません。

 

最近、友達に教えてもらったイラストサイトでも活動を始めました。

そこはほぼ会話もなく静かなところなので自分のペースで活動できそうです。これまで拠点としてきたサイトは色々な方と知り合えるなどメリットが多いのですが、自分のペースを守りづらいというデメリットもあるのです。

 

ところで、今"ほぼ"という言葉を使ったのでいつも思っていることを書きます。

"ほぼ"と"ほぼほぼ"ってどちらが"より近い"ということなんでしょうか?

"ほぼほぼ"はテレビの方(たぶん宮根さんかな)が言い始めたと私は思っています。その後他の芸能人や一般の方も言い始めましたよね。

私はこの言葉の意味の強弱がわからないし"ほぼ"だけで足りると思っているので言わないようにしています。

これは夫婦でよく話すのですが、流行ってる言葉を大人があまり頻繁に使うと軽く見られると思っています。

職場の方なのですが、お子さんがSoftbankソフバンとかエレベーターをベーターと言うからといって、職場でも家と同じように話すのはどうかなと思います。念の為ネットでエレベーターをベーターと言うのか調べましたが、ほとんどの人が言わないという結論にいたりました。

5歳のお孫さんが「2ちゃん」を毎日見たがると何度も言うので、そんなもの最初から見せなければ良かったのでは?と思っていたら教育テレビのことだった時もありましたね。

このように、自分の言葉が全て他人に通じるわけではないのです。

相手の反応を見ながら話すことをやめたり広げたりできるのが会って話すことの利点ですから、自分の話が一方的でないか確認しながら余計な事は言わないようにしたいですね。

ブログは文章なので一方的になりがちですが、あえてそれを楽しんで読んでいただきたいと思っています。

ではここまで読んでいただきありがとうございました。

18. 言葉について

これは世間とずれている私のブログです。
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いいまわし【言(い)回し】
同一の表現素材に対してそれをどんな形で言い表すかの方法。表現の方法。
三省堂 新明解国語辞典 第四版より引用

"言い回し"を辞書で引いてみたけれど、私はそんなに国語能力が高くないので意味が頭にスッと入ってこなかったです。難しい。


"とてもじゃないけど○○ない"
これ、不思議な言い回しだなっていつも思うんです。

「とてもじゃないけど食べられない。」
「とてもじゃないけど許せない。」
などなど…。
私の母はこの「とてもじゃないけど食べられない。」をよく使います。明らかに絶対に食べたくない時に使っています。
私がそれを聞くたびに不思議な気持ちになっていること、分からないだろうなぁ。

この言い回しは誰かが最初に何かに書いたとか、もしくは言ったりしたのでしょうか。
それとも、本のページをめくる時に指を舐める人が世界中にいるように、同時多発的に言い始めたのでしょうか。本当に言葉って不思議ですよね。遠い国の言葉が同じ意味の発音だったりする時もあるし。

 

ところで少し話は違うのですが、小説の登場人物の名前ってフリガナがなくて読めない時ありませんか?歴史小説なら調べればわかりますけど、創作の人物の場合はフリガナをふって欲しいと思います。
例えば、井伏鱒二さんの「朽助のいる谷間」を読んでいる時にこのおじいさんは"くちすけ"でいいんだよな?他にも読み方が?とか考えてしまうからです。でも"頑固"や"松茸"にフリガナをふってあるので名前にフリガナをふるのが面倒とか技術的に難しいというわけではないってことですよね。鱒二さんがご存命のうちに読み方を聞いてなかったから勝手にフリガナをふれないということなのかな。
もし、今もご健在でしたら手紙を出して聞いてみたいです。そうすれば「私のところへこういう手紙が来た」という内容の面白い随筆が読めたかもしれません。

普通作家が書かないなんでもない事を書いた鱒二さんの随筆が面白いんですよね。どこででも買いやすい本でいうと新潮文庫から出版されている「 荻窪風土記」がおすすめです。

 

では、ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

17. 絵柄

これは世間とずれている私のブログです。


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 他所で発表するための絵を描いていたので少しブログを放置していました。その間にも読んでくださりありがとうございます。

他所での絵は華やかさや完成度の高いものを目指して描いているのでこちらでは地味な練習絵が多くなっています。

やはり雑談カテゴリーグループにしておいて良かったと思いました。

イラストのカテゴリーグループに入ると自分の性格的に完成度の高いものを載せたくなってしまいます。

その結果、時間が足りなくて別名義と同じ絵を載せる事になると思います。

絵の作風と作者の性格が違うと落胆することもあるので私はブログはブログで別ものとして文章を中心にやっていきたいです。今後ともよろしくお願いします。

 

 絵を描いている方なら憧れのイラストレーターさんが大抵はいると思うのですが、私の場合は森気楼さんです。(現在の活動を調べていないのでお名前の変更などありましたら申し訳ありません)

森さんの絵を初めて見たのはSNK時代の餓狼伝説スペシャルだったと思うのですが、肌の質感がリアルでとにかく格好良かったです。私は古い画集しか持っていないのですが、今でも筋肉の描き方を参考に見るときがありますね。

森さんのような写実的な画風だと時間が経っても古くならないので参考にするのに適していると思います。逆に、漫画的な絵柄というのはいずれ古くなる可能性が高いです。今好きな漫画の絵をそのままずっと真似していると10年後には時代を感じる絵になってしまうかもしれませんね。

私はもうそこのところは通り過ぎて、そのつど時代に流行っているものに合わせて絵柄を少しずつ変えるようにしています。

過去の絵の仕事を思い返してみますと、大抵は前に別の方に頼んだものをリニューアルする場合が多かったので前の方の絵柄に合わせて少しだけ今風に変えて違和感のないように描くことが多かったですね。

自分の絵柄にこだわりすぎるとこういった仕事はできないので柔軟性も必要だと思います。

時々、画家とイラストレーターが同じようなものだと思っている方がいるのですが、画家の絵はすでに出来上がっているものを気に入って買う事が多い(昔の宮廷画家などは違いますが)ですが、イラストレーターは注文が先にあるので自分の思っている通りに描くことはできません。私は「もう少し下手に描いてくれ」という注文を受けたこともありますからね。これが意外に辛い…。

今は絵の仕事はしていないので、好き勝手に描けて本当に楽しいです。

 

では今日はここまでにします。読んでくださりありがとうございました。